たまりば

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2015年01月03日

西に長い東京都。明治15年に多摩地区は生まれた。

輝く富士が見える三鷹電車区
まっすぐ西へ続く中央線の線路。
三鷹跨線橋からの眺め。

富士山が見える。だから、富士は東京のほぼ西にあることがわかる。
真西に甲府盆地がありそのすぐ南に富士山はあるのだ。

三鷹から西は東京都の多摩地域である。
どうでもいいことを少し書く。

東京都が東西に細長い形になったのは明治15年。130年前。
(当時の人口は、23区で100万人、多摩地区は数万人だった)

東京の中心は、元江戸城があった府内。
その域外に武蔵国の荏原郡とか豊島郡とかがあった。
それが明治10年に、東京都15区の設置になり、
更に明治21年に東京市になり、荏原郡、豊島郡が品川区、世田谷区や
練馬区などになった。

武蔵国の北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡は神奈川県だったのが
明治15年に、東京府に移管
され、後に東京都に統合される。

千葉の東葛飾郡や、埼玉の北足立郡が移管されなかったのはなぜ?
多摩に人口が少ない、鉄道と飲料水、農業用水の関係であるかと思う。

そして今、多摩地区は、130年前には考えられない数が住んでいる。

人口420万人で、23区の半分より多い。札幌市の倍であり、巨大な静岡
のような県に匹敵し、国で言えばニュージーランドとかアイルランドと
同じ規模である。

多摩は、23区の後背地からさらに脱するのか、どんな変化を遂げるのか。
人々は多摩に住み続けるのか、地方へ移住するのか。人口は減るのか。
  


  • Posted by 一歩塾&ブログ村  at 15:19Comments(0)多摩CBネットワーク三鷹情報